どうも
夜分遅くの投稿となってしまい申し訳ないです
ですが、忘れてはいけない。その気持ちがあるので、書かせてください。
あの日
2011年、3月11日。
当時の僕は、3歳と4ヶ月8日で、被災当時の記憶はないに等しいですが、覚えていることが一つだけあります。
凄まじい轟音
追憶
被災当時、都内の祖母宅にて、祖母の誕生日を祝っていました。
不幸か幸か、誕生日当日だったわけです。
発生時刻より少しすぎたあたり、都内でも揺れとNHKのアラート、防災無線の音。
何もかもが分からずじまい、室内ではあったものの困惑に陥り、泣きじゃくっていたようにも感じます。
繋ぐ、繋がる。
僕ですらこのような曖昧な記憶であると同時に、そんな朧げな記憶ながらも伝えていかなければいけないとも思っています。
第一、15年も経過すれば 「震災を知らない世代」 というのがいてもおかしくないわけです。
双葉町や今でも残骸が残る町が当たり前になって、震災前の風景を知らない。
それは悲しいことでもあるけど、同時にある人にとっては「普通」だとか、「当たり前」。
そうなってしまっているわけです
しかし、今でも思います。
当時の津波から逃げる人々の映像や、瓦礫、液状化した地面にめり込む自動車たち。
それらをみると、非常に居た堪れない気持ちになります。
少しでも何かできないだろうかと思うのですが、思い浮かぶのが「寄付」と「支援」くらいしかないのです。
それも仕方がないと勝手ながらに思ったのですが、それしか出来ないのが現状だと思っています。
結びに
拙い文章ながら、私なりに記事を書いてみました。
年に数回、当時や復興地に想いを馳せてみるのはいかがでしょうか。
では、次回の記事でお会いいたしましょう。
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